2023.4.13
自分がなぜ作るのか
その片鱗がわかった話。
昨日、庭の森の木の剪定をしていました。
冬は葉っぱが落葉し明るかった森も
夏になるとクヌギの葉が生い茂り
途端に真っ暗になるのです。
ああ、人間はやっぱり森が怖いんだ、と
思い知らされる。
少しでもそうならないために
今年は木を剪定しようと。
朝から汗水流して剪定して行ってたんです。
ある程度終わったあと
ずいぶんスッキリした森を見て
よっしゃ、ことみちゃんに
すごいでしょ、と見せたくなりました。
その時気づいたのです。
あ、これを僕は多分
小さい頃からやってるんだと。
親の話によると僕は小さい頃ブロック遊びや
お絵描きの遊びが大好きだったと。
それさえ渡しとけばずっとそれやってたから
楽だったと。
作ったものを見せる
→すごいね
と褒めてもらうのが
小さい頃の自分の
生存戦略だったんじゃないかなぁと。
ものを作ることで
構ってもらったり
すごいねーと言ってもらえる。
じゃあ、どんどん作ろう!と。
それはきっと成長して行っても
それが根本にあって
僕は小学生の頃は漫画を描いてたし
中学生ではコントやギター
高校生では家で毎日ワンマンライブ
大学から本格的にライブハウスで歌い始める
その中で絵を描いたり、ラジオで喋ったり
僕は何か作り続けてきた。
小さい頃は家族、主に母に
すごいねと言ってもらうために
母じゃなくなってからも
その都度その都度、友達や好きな人
ファンの人、世間に褒められたいと
やってきたのかもしれない。
なので物を作って反応が薄いと
拗ねたり、いじけたりしてきたのだろう。
おかしいな、ものを作ったのに
(思ったように)褒めてもらえない
何かがおかしい
→わかってくれない世間がおかしい
とか捻くれたりもしたんだろう。笑
あと、なにも作れないとき
どうしようもなく自分はダメだと
自分を責めたりもしていた。
作らないと褒められたり認められないと
思い込んできたからだ。
なるほどなぁと思った。
森で一人納得した。
作ることは僕の生存戦略だった。
褒めてもらう、認めてもらうための
作戦だったわけだ。
だからこそ、作れない=死
みたいに無意識に思っていたのかもしれない。
ここでそれはおしまい。
今までありがとう。
褒めてもらうために
認めてもらうために
作るのはもうおしまい。
これからは作ったもので
みんなに喜んでもらうことにする。
そしてそもそも、作ってなくても
変なこと思いつく38歳のおじさん
いいじゃない。
割と好きだよ、僕は僕の生き方が。
今日描いた絵
ネモフィラ
完全なる自己満足の記事
今日もお付き合いありがとうございました。
森で昨日気づいたことはもう一個あって
それはまた書きます。
そして今日の出来事は
ラジオ・ミッドナイトゲットアウトスマッシュで
話そうと思います。
あのさトーク、というやつです。
まさとくんはどんな反応するか楽しみです。
10時半から、聞いてくださいね。
necoze worksご注文いただいた皆さんありがとうございます。
生地が届き次第描いて送るのでもうしばし
お待ちくださいね!
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